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哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信念的独断的な党派を自らの哲学として心ゆくまで展開し、展開しきったところでそれを他党派との相対的対話に持ち込むこと、ここに絶対の相対化としての「諧謔」がある。けだし党派の伝統を真に自己のものと主体化し、それに独自の発展を齎すもののみが、対話の姿勢に移行できるのである。要するに喜劇精神とは偏していることの効用をしった上で自ら偏することを敢えて企図する、充分に意識された党派心であり、それは自らの公平とする無意識の党派心から生じてくる聖戦思想とはおよそうらはらである。無意識の党派心こそ無党派の意識と同様甚だ危険であり、度しがたきものである。

『存在論の諸問題』松本正夫
昭和42年 第一刷 ⅷ

2020/09/20 発表@哲学塾カン 「哲学対話とは何か」ソクラテス、プラトン、アリストテレスの場合

哲学対話とは何か

ソクラテス、プラトン、アリストテレスの場合

要旨

 ソクラテスが街角で実践した対話活動、プラトンがディアレクティケーと呼んだ哲学固有の手法、アリストテレスが取り集めた言論と探究の論理法則。アテナイの三人の哲学者のうちに問いと答えの輪郭を描き出すことで哲学対話を巡る問いを立てるとともに、哲学の歴史を対話の相のもとでみる試みの事始としてみたい。
 また、対話とは問いと答えである、哲学対話とは純粋な問いと答えである、という簡潔かつ決定的な答えを示すことにより、これまでに費やされてきた対話や哲学対話についての無駄なお喋りと権威ある言説を一掃する。

目次

1 序
1.1 端的に「哲学対話とは何か」
1.1.1 哲学対話とは何か、には多くの答えがありえ、多くを含む問いである
1.1.2 哲学とは何か+対話とは何か
1.1.3 「哲学+対話」とは何か
1.2 哲学の歴史の「哲学対話とは何か」
1.3 哲学の歴史は対話である
1.3.1 問答の連鎖によって哲学の歴史は成り立っていないか
1.3.2 哲学の始まりの時期の三人の間に対話が成り立っていないか
2 ソクラテス
2.1 対話活動を通じて問いかけたソクラテス
2.2 対話活動は神託の問いに対する答えであった
2.2.1 神託に対するソクラテスの問い
2.2.2 神託に対するソクラテスの反駁の試み
2.2.3 神託に成り代わって無知を受け入れるかどうか問う
2.2.4 神託は、神こそが真に知者であるという答えも示している
3 プラトン
3.1 ソクラテスの刑死という不可解な謎
3.2 一問一答
3.2.1 現れを破棄して実在へと向かうこと
3.2.2 論駁されることが可能な一問一答
3.3 ディアレクティケー
3.3.1 専門知とは区別されるディアレクティケー
3.3.2 魂の目を洞窟から太陽へと向け変える
3.3.3 仮説を破棄して始原に至る
4 アリストテレス
4.0.1 ソクラテス、プラトンの振り返り
4.0.2 問答にはどのようなものがどれだけあるか
4.1 カテゴリー
4.1.1 カテゴリーは問いと答えに共通なものである
4.1.2 疑問の記号「?」やイントネーション
4.1.3 「組み合わせ」によってできるものは命題だけではない。問答もである。
4.2 弁証論
4.2.1 推論
4.2.2 論証と弁証の区別
4.2.3 詭弁家、弁証家、哲学者
4.2.4 真なる前提と真偽を度外視する前提の区別
4.2.5 ソクラテスを含むプラトンからアリストテレスまでの流れ
5 エレンコス
5.1 論駁の違い
5.1.1 ソクラテスの論駁
5.1.2 プラトンの論駁
5.1.3 アリストテレスの論駁
5.2 論駁の共通点
5.3 論駁は、無知により成立するという理由で、常識とはかけ離れている
6 振り返り
6.1 ソクラテス、プラトン、アリストテレスへの振り返り
6.1.1 愚直で幼稚な感度と洞察、子どもの哲学
6.1.2 歴史を通覧するなどの普通のことは何一つやっていない
6.1.3 歴史の順序通りに論じることになったのは問いと答えにこだわった結果である
6.1.4 問いとは何か

参考URL
http://gido.ph/